「人の幸せを願える人間になれ。
そうしたら自分自身も幸せになれるから。」


あたしはこの言葉をこう解釈している。

自分自身が幸せで、
そのとき置かれている状況にある程度満足していなければ、
人の幸せを願うことは難しい。
だって、自分自身のことで精一杯だから。
自分が幸せになることに手いっぱいで
人の幸せのことまで考えていられないと思うから。

つまり、
人の幸せを願える状況になって初めて
自分自身も幸せって言えるんじゃないか、と思うんだよね。


あたりまえのことだけど、
あたしはそう解釈しているし、
実際そうだと思う。


「人の幸せを考えられるくらいに
ふところの広くて深い人間になれ。
そうじゃなきゃ、まだまだだ。」

あたしがたった今、勝手に作った教訓。


そんなあたしは現在、
カッコつけてるわけでも
偽善者ぶってるわけでもないけど、
人が幸せだと、自分も幸せな気分になれる。
人の幸せ話を聞くのが好きだ。

そう思えるってことは、
あたしは幸せな人間なんだろう。

もちろん、欲張りなあたしは
もぉっと豊かな心になりたいし、
もぉっと幸せになりたいって思うけどね。


イライラすることだって、ある。
うまくいかないことだって、ある。
どうしようもなく腹が立つことも、ある。

でも。
心安らいだとき、
こんな風に幸せについて考えられるのは
すごく素敵なことだと思うし、
忘れたくないことだなって思う。
「ひとつだけ願いを叶えるから、10秒で願いを言え!」
・・・・・・。

人は何を願うだろう。


あたしは、
とりあえず、
「みんなが幸せでいられますように!!」
と言うだろう。

10秒だから、
あれこれ考えている時間ないしね。


すべての人が幸せになるなんて不可能なこと。

わかってるけどね。

でも。
あたしはそれを願っています。

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